プロフィール

僕の経歴

はじめまして、片山翔太(かたやま しょうた)と申します。

2000年愛知県田原市生まれの、24歳。
現在は、祖母、父、母、僕、弟2人の6人家族。長男。

職業は「作家」

大学卒業後、上京し、某総合型スポーツクラブに就職。
スイミングインストラクター、パーソナルトレーナー業を務める。

アルバイト期間を含め2年間働かせていただいた後、「もう十分楽しませてもらった!」と思い、退職し独立。
「博多ラーメンを食ってる夢を見た」という理由で、福岡県北九州市に引っ越す。

現在は「作家」としての地位・名誉・実績を積み上げるため、日々創作活動に取り組んでいる。

 

僕のあれこれ

趣味

妄想

「こんな設定の小説、面白そう!」
「こんな漫画あったら面白いなぁ!」
「こんなキャラクターがいたら良い絵本になりそう!」

常日頃、暇さえあれば頭の中で考えています。
99%は一時の妄想で終わりますが、その中の1%は実際に形になります。

 

漫画読む

「物心ついた時から、漫画を読まなかった日は1日たりともない」

そう断言できるほど漫画が大好きです。
特にバトル・アクション系、冒険系が好き!

ONE PIECEで友だちになりたいキャラクターは「ウソップ」です。

 

アニメ鑑賞

「テスト習慣になると、なぜかアニメをイッキ見する」

僕だけでしょうか?
やっぱりアニメって心のよりどころになるんですよね。
漫画もいいけど、「声」があるアニメはまた違った良さがある。

最近「進撃の巨人」を1話から全部見直したところ、気づいたら「心臓をささげるポーズ」が染みついていました。

 

映画鑑賞

「およそ2時間で完結する、最高のエンターテイメント」

映画ほどコスパ良く「感動」を届けてくれるコンテンツを知りません。

「君の名は」「天気の子」「聲の形」
これらの作品を観たときは、涙でテーブルに釣り堀ができていました。

 

アロマ

「0.2秒で感情コントロール」

かれこれ2年ほどになるでしょうか。
知人の勧めでアロマを初めて使ったとき、僕は虜になりました。

仕事前に「ペパーミント」、気分転換に「オレンジ」、おやすみ前に「ラベンダー」
今ではアロマのない生活が考えられません。

 

節約飯の探求

「いかに安く、いかに腹を膨らませられるか」

終わりのない探求。
一人暮らし7年となると、もはや染みついています。
収入に関係なく、とにかく安く食事を済ませたいんですよね。

僕がこれまで開発した「安さと満腹度」が究極の節約飯は、「袋うどん(約25円)+木綿豆腐(約50円)+もやし(約25円)」を鍋でゆでた100円飯です。

 

得意なこと

新しいアイデアを考えること

「むしろ頭がパンクする。考え出すと止まらない」

やっぱり「考える」ことは好きですね。
他の人の脳内を観ることができないので何とも言えませんが、得意だと思います。

まぁ勢いあまって、ベッドの上でいろいろ考え、眠れないこともしばしば…..。

 

好きなことに没頭すること

「マジで病気になるから、ワーク・ライフ・バランスを教えてほしい」

たとえば小説を書いているとき。

他の仕事とか、運動とか、食事とか、睡眠とか、入浴とか。
もう全部そっちのけ。

「生活リズム」という概念が消えるくらい、好きなことに没頭できるのは「得意」だと言えるでしょうか?

 

一度気になったことをとことん調べること

「時間の無駄以外のなにもでもない。でも気になる!」

文章では「貴社」、口頭では「御社」
就活しているときに調べた方も多いと思います。

じゃあ「学校の先生」になる人は、相手方のことをなんていう?
なんか「社」ではない気がする….。

ネットでいろんな記事を読んで、なんなら先生になる弟にも聞いて。
この間約30分。シンプルに時間の無駄です

なぜなら気になって調べたはいいけど、結局忘れているから……。

でも、この性格はけっこう好き!

 

電柱になること

「高校野球3年間で最も身に着いた力。それは電柱化でした」

監督からの雷を食らい続けた3年間。
まぁすべてをまともに聞いてたら心が持ちませんよ。

言っていることの9割は右から左にグッバイ。
「我、電柱也」と念じ、ひたすら電柱になることを目指した3年間。

野球のスキル、部活で得た礼儀、諦めない心、仲間との協調力。
悲しいかな。社会に出て1番役に立ったのは「電柱化」でした。

 

苦手なこと

時間を守ること

「僕に時間を守れというのは、鶏に空を飛べと言っているようなもの」

鶏に空を飛ばせる人、いますか?
いないですよね。いや、いないであってほしい。

僕の名誉のために言っておきますが、「仕事関係」の時間は守ります。
守れないのは「プライベート」。

大学4年の就活時、2回に1回は時間に間に合わず、夜行バスを乗り過ごしていました。
あなたが乗っているバスの空席は、もしかしたら僕が予約した席かもしれません。

 

一定時間、人の話を一方的に聞くこと

「10分すぎるとBGM。心地よい子守唄をありがとう」

セミナー、講演、説教、校長先生の話。
時間に幅はあれ、人の話を長く聞くことが苦手です。

でもごく稀に、食い入るように聞いてしまうときもあります。
それくらい魅力的な話し方をしている人は素敵。(何様だよ)

 

マニュアル通りにこなすこと

「人に言われた通りにやるのが苦手。義務教育が身につかなかった男の成れの果て」

サラリーマン時代。新卒入社で研修を受けていたとき。
同期は2ヶ月で終わる研修を、僕は6カ月かかっていました。

シンプルに給料泥棒です。
教えてくれるお母さん的な存在の上司には本当に申し訳ない。

でもね。
義務教育を9年受けて身につかなったことは、もう治らないよ。

 

適当に済ませること

「0.1点を上げる努力の無限ループ。誰か止めてくれ」

たとえば小説を見直しているとき。
接続詞の「または」を「あるいは」に変えるレベルの作業を永遠と繰り返す。

たぶん直しても0.1点くらいしかクオリティ上がらないけど、やってしまう。
まぁこれは「良いところ」と割りきっています。

逆にどうでもいいことは、めちゃくちゃラフでスピード重視です。

 

僕の軸

俺はいつか、必ず死ぬ

僕の座右の銘です。

「何当たり前のこと言ってんだ」と思うかもしれませんが、しばしお付き合いいただけると嬉しいです。

 

父、老いる

僕がこの言葉を座右の銘に決めたのは、2024年4月。
父が腰をひどく痛めてしまい、手術をするとのことで実家に帰った時です。

僕の実家は菊農家。
大好きな祖父は早くに亡くなったこともあり、男では父一人。

機械による自動化は進んできたものの、やはり肉体労働。
力仕事が労働時間の大半を占めるお仕事です。

父は20歳の頃から、30年間。
農家一筋でやってきたので、さすがに無理がたたったのでしょう。

満を持して、ドクターからレッドカード。
「歩くのも極力控えてください」とお灸をすえられるほどの状態でした。

そんなこんなで選手交代。代打の切り札・片山翔太。
約1カ月。へそくりしていた有休をフルに使い、実家に帰還してきました。

その年のお正月に一度帰省していたものの、その時は3日ほど家でダラダラしてただけ。
改めて思い返すと、上京してからここまでまとまった期間、地元に入り浸ることははじめてのことでした。

いつも僕を誇りに思ってくれている母型のじいちゃん。
学生時代は毎日図書館であいさつを交わした、司書のお姉さん。
インターフォン代わりに「おーい!」と140デシベルで叫ぶ近所のおばちゃん。

(ちなみに140デシベルというと、雷が至近距離で落ちたときくらいらしいです)

かれこれ1年半ぶりくらいか。
会う人会う人、「久しぶり~!」が絶えない3週間でした。

 

……でもね。僕は久ぶりに会うおじいちゃん・おばあちゃんたちを見て、こう思ったのです。

 

(なんか、すっげぇ細くなったな…….)

 

いつの間にか腰が曲がった、きんぴらごぼうをくれるおばあちゃん。
骨が見えるほど痩せた、おはぎを作ってくれる大ばあちゃん。
いつの間にか入院していたお隣のおじいちゃん。

とても失礼なのは重々承知の上ですが、正直に「老いたな……」と思いました。

久しぶりの地元だからこそ味わえる変な感覚。
とかく、ある意味「新鮮」が多い3週間で、父の手術を忘れるくらい楽しい時間になりました。

 

初めてみる両親の顔

地元に帰って2週間後。
ちょっと忘れかけていた父の手術も無事成功。
腰の手術なので背中に着ぐるみのチャックみたいな跡が残りましたが、ひとまず安心です。

父の退院後10日ほどは、力仕事は僕がして、一緒に農家を務めました。

父は農家の長男として、半ば強制的に農家の跡取りに。
聞くところによると、弟農家の大学費用にも充てていたとか……。

なんというか、まぁ、その……偉大ですね。

一方、同じく長男として生まれた僕。
残念ながら、農家適正がFランク。

苗を植える作業、花を刈る作業、花を束ねる作業。
良くも悪くもマニュアル化された流れ。

他にも15分以上の運転や事務手続き等の資料整理、校長先生の話など。
僕は創意工夫の余地が少ない作業だと、脳内に霧がかかりボーっとしてしまうのです。

こればっかりはもうどうしようもありません。
24年間治らないものは、もう治らない。

僕は農家をつかずに、東京の某スポーツクラブに就職しました。

そのためか、良くも悪くも地元に執着がない。
対照的に、父は地元の仲間をそれはそれは大切にします

やはり30年も地元で農家をしていると、その仲間は家族みたいなものなのでしょうか。

父は地元の友だちを大切にします。

飲みに行ったり、バーベキューをしたり、家でチーズフォンデュをしたり。
電話越しに話す姿は、それはそれは楽しそうです。

地元に帰って2週間。
あっという間にもほどがありすぎるほど一瞬だった此度の帰省が、残り2日と迫りました。

 

「明日、明後日は名古屋辺りに出かけるか」

 

父の提案があり、「じゃああのラーメン屋行こうか!」と楽しく計画していた、その時。

父のスマホに一通の着信が入りました。
つい一昨日くらいに会っていた友人の「奥さん」です。

 

「……もしもし?」

 

旦那は死にました。ソファでくつろいでいるかと思ったら、死んでいました

 

父は愕然とその場に崩れ落ちました。
現状を理解できない……いや、受け入れたくない様子は一目で伝わりました。

その場にいた母も信じられないという様子。
上下左右、オドオドと不規則に目を泳がせています。

当然です。

つい一昨日まで仲良く話していた同級生
高校時代からの仲だった親友が、何の前触れもなくこの世を去ったのですから。

24年間。大学で一人暮らしをするまでだと18年間。
一つ屋根の下、最も長い時間を過ごしてきた家族。

なんでも知っていると思っていましたが、その日見た彼らの表情は、僕の記憶のどこにも見当たりませんでした。

 

俺はいつか、必ず死ぬ

深夜一時。寝床につく僕。
両親は明日からのお通夜、葬式に備えてか早めに眠りについた。

 

「あの表情が忘れられない……」

 

訃報を受け取った時の両親の表情が、脳裏に焼き付いている。

両親は50歳。
亡くなった友人も50歳。

亡くなるにはあまりにも早い年齢。
だが、死を意識し始める年齢でもあるのだろう。

昨今では「人生100年時代」というが、それはまだ少数派。
実際は80~90代前半で寿命が尽きるのがほとんど。
両親はすでに折り返し地点を優に過ぎている。

 

(…………………………。)

 

月に照らされた天井の壁紙を見つめる。
特にこれといって何かを考えているわけでないが、脳が何かの解を導き出すために動いているのがわかった。

「チッ、チッ、チッ、チッ」時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえる。
どれだけの時間が経ったかわからない頃、僕はあることに気がついた。

 

「そっか、俺って死ぬじゃん」

 

当たり前すぎる発見。
この世に生まれてから決定している事実。

でももしかしたら・・・・・
いつか必ず死ぬという真実を自覚している人は、あまりいないのかもしれない。

20代は30代、30代は40代、40代は自分に孫ができるなんて思いもしない。
有名人や親戚が亡くなった時も、「自分だけは例外」と心のどこかで思っているのかもしれない。
「今ある日常が一生続く」と思っているのかもしれない。

 

でも、それは嘘だ。
人間は老いるし、死ぬ。

これだけは絶対に覆せない。
すべての人間が平等に一度だけ経験する「現実」

 

「社会はそんなに甘くない」
「大人になったら好きなことばかりやっていられない」
「失敗しないように安定の道を進むことが堅実だ」

 

そんなモブキャラ未満が吐く戯言を、「現実」とは言わない。
自分に嘘をつく安心を覚えた大人の、単なる「負け惜しみ」だ。

この世に存在する唯一の現実
神を除いて、何人たりとも変えることができない現実。

それは「いつか必ず死ぬ」ことだ。

 

明日か、1年後か、10年後か、30年後か。はたまた1秒後か。
癌か、心臓発作か、交通事故か、寿命か。はたまた殺されるか。

死ぬ時もわからなければ、死因もわからない。

 

でも、俺はいつか、必ず死ぬ。

 

バカで愚かで、驚くほどワガママな生き方こそ面白い!

僕の人生の第1章はここから始まったのかもしれません。

今まではチュートリアル。
全滅(死)への意識なんてかけらもなく生きてきた。

神に誓って、父の親友の死を軽んじる考えは1ミリもありません。

ただ、僕は2024年4月。
父の手術や農家の手伝いという名目で帰省した、この3週間。

地元に帰ってきた真の意味は「父の親友の死」
これを肌で感じ取るためだったのだと確信しました。

それからは目に見えない「ナニカ」に突き動かされるように、突拍子もない行動の連続。

まずは翌朝。
誰もいない丘の上の神社にて、会社へ退職の一報をします。

上司の電話を切るや否や、大家さんの電話番号へ。
退居する旨を伝えました。

次のいきさき、次の仕事。
何も決まっていません。

「今すぐ何か行動を行さないと、取り返しがつかないことになる!」

直感に支配された僕の脳が、勝手にそうさせたのです。

 

人間、いつか死ぬ。

だったら、もう好きなように生きればいい。
どうせ死ぬんだったら、「今世、生きた甲斐があったわ!」と笑って終わりを迎えられるように。

自分のやりたいようにやればいい。

 

時には努力が報われず、悔し涙をする夜もある。
みんなに置いてきぼりにされて、焦りに焼かれる日もある。
輝いている「あの人」に、憎たらしいほどの嫉妬を抱える日々もある。

 

でも、古今東西、悔し涙を流さない主人公はいない。
焦りや自分の無力さに、失望しない主人公はいない。
嫉妬を力に変えて、「俺もできたぞ!」と結果を出さない主人公はいない。

 

主人公は、ピンチをチャンスに変えて大きなことを成し遂げる

 

相場は決まっています。

上手くいくこと2割、上手くいかないこと8割。
まぁだいたいこんなもん。

こんなもんだから、腹減って食う飯がウマいってもんですよ。

 

最後に、いつしか僕の心に住み着いた言葉を送ります。

バカで愚かで、驚くほどワガママな生き方こそ面白い!

 

今の僕から、未来の君へ

退職日、退居日が2週間後に迫った頃。
「さすがに次の行き先を決めないとヤバい」と思った僕は、特にこれといった理由もなく「福岡県北九州市」に引っ越すことになりました。

 

「実は愛する彼女がいる」
「福岡の大企業にスカウトされた」

そんなカッコいい理由があればよかったのですが、もうこれはただの気まぐれとしか言いようがありません。だって本当に気まぐれなのだから。

 

せめて無理矢理に理由をこじつけるとすれば、「博多ラーメンを食べてる夢を見た」くらいでしょう。
でも「だったら北九州じゃなくて博多に住めよ」という話になるので、違うか(笑)

まぁなにはともあれ、人生初九州、初福岡、初北九州。

北は海に、南は山に囲まれた自然豊かな土地。
誰も僕のことを知らない、まったく新たな環境で人生の第1章をスタートさせた気分です。

長かったチュートリアルはもう終わり。

 

人々に勇気を届ける作家』になることを目指して。
死ぬ時に「あぁ、現世、生きた甲斐があったわ!」と笑えるじいさんを目指して。

 

今日も今日とて、某ドーナツ屋の二階でパソコンをカタカタしようと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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