前回の記事では、『cocoon~ある夏の少女たちより~(原作・今日マチ子)』のアニメを見て得た学びとして、
「過去に感謝する」ことを書きました。
【 前回の記事 】
https://shota-blog-life.com/living-with-integrity/8400/
……はい、言いたいことはわかります。
普段から僕のブログを読んでいただいている方なら、
「コイツ、なんか急に真面目ぶり出したじゃん」と思ったかもしれません。
でもね、やっぱり戦争を生き抜いてくれた人たちがいたからこそ、
今の僕らがこうして平和に暮らしていられる。
これは紛れもない事実なんです。
ただ、感謝〝だけ〟で終わるのは、ちょっともったいない気がする。
「ありがとう」と言うだけじゃなくて、その命をどう使うか。
そこまで考えてこそ、本当の意味で過去に敬意を払えるんじゃないかな、と僕は思います。
だから今日は、前回の記事の延長線上のテーマを掘っていきます。
『 やりたいことをやらずに一生を終えるなんて、命がもったいない 』
少々スパイスが効いた言葉になりますが、
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本当はやりたいことがあるけど、先延ばしにしている人
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失敗や周りの目が怖くて、一歩踏み出せない人
-
今の生活に流されて、気づけば自分の本音にフタをしている人
に、「よしっ、せめて小さな一歩だけでも動いてみよう!」と行動につながるきっかけになれば、幸いだと思っています。
「自分で決めてない」
まずは、本作をまだ観ていない方のために、簡単にあらすじを紹介します。
太平洋戦争・沖縄戦を舞台に「ひめゆり学徒隊」と呼ばれた十代の少女たちを描いた作品です。
兵士として戦場に立ったのは主に男性でしたが、
少女たちには看護や物資の運搬といった役割が与えられ、
爆撃や銃弾が飛び交う前線へと送り出されました。
当然そこには命の危険があり、
多くの少女たちが若くして命を落としていきます。
「夢を語る」「自分らしく生きる」「やりたいことをやる」
そんな言葉が一切通用しない時代。
それでも懸命に生きた少女たちの姿が、
「命のありがたみ」をこれでもかというほど強く教えてくれます。
あらすじとして触れられるのはここまでにしておくので、まだ観ていない方はぜひ一度見てみてください。
本当に心に残る作品です。
作中でとくに僕の心に残ったのが、
主人公・サンの「自分で決めてない」というセリフ。
これは少女たちが追い詰められ自ら死を選ぼうとする場面で、サンが反対する際に放った一言です。
この言葉を発した心意は、
その選択が「自分の意思で決めたものじゃない」から。
戦争の時代には、生き方も、死に方すらも、自分で選べませんでした。
誰かに決められるしかなくて、
「自分」という存在がほとんどなかった。
現代を生きている僕たちからは、想像すらつかないですよね。
そんな中でサンが発した「自分で決めてない」という言葉に、
僕は「うわぁ、今の時代に生まれたことってマジで恵まれてるなぁ」と心から思いました。
現代は「自分で決められる時代」
今の時代、「生き方」の選択肢は、もう無数にあります。
就職するか、起業するか。
都会に出るか、地元に残るか。
結婚するか、一人で生きるか。
人の目や失敗を気にして、やりたいことをやらずに一生を終えるか。
それとも、勇気を出して一歩踏み出すか。
全部、自分で決められます。
これは戦時中の少女たちには到底なかった自由です。
……でも、せっかく自由を持っているのに、
なぜか自分の気持ちに蓋をしてしまうことがある。
「やりたいのに、やらない」を選んでしまう。
それは、サンの言葉を借りれば「自分で決めてない」生き方なのではないでしょうか。
もちろん、戦時中と比べて現代は自由が多いからといって、
僕らが〝使命感〟を感じないといけないわけではありません。
べつに「ご先祖様のため」に生きているわけではないからです。
人は人、自分は自分。
結局は、「自分が自分の人生に対して、どれだけ納得できるか」
でも、「やりたいことをやらない」を環境のせいにするのは、もう通用しない。
これは以前から思っていたことですが、
cocoonを観て、より一層強く思いました。
その選択をしているのは、
結局〝自分自身〟
その仕事をしているのも、
そこに住んでいるのも、
生き方を決めているのも。
全部自分が決めたこと。
そう思うと、人が「諦めた」と思っていることというのは、
多くの場合、
〝できなかった〟んじゃなくて〝やらなかった〟を選んだだけではないか
とすら思えてきました。
怖いのは失敗じゃなく「自分への嘘」
失敗しても、何度だってやり直せる
この言葉、よく聞きませんか?
自己啓発書やYouTubeのモチベーション動画とかでよくあるやつです。
正直、僕、最初はこの言葉をすごく斜に構えて解釈してたんです。
「それはお前に立て直す力があるからだろう」と。
「無責任に〝挑戦しろ〟なんて言ってんじゃねーよ」とすら思っている時期もありました。
でもね、冷静に考えると、
これって普通の反応なんですよ。
だって、大きな失敗を経験したことがない人にとって、
「立て直せる」なんて想像つかなくないですか?
経験してないことを「イメージだけで納得しろ」っていうのは、さすにが無茶な話だと思うんですよ。
〝火〟でたとえるとわかりやすいです。
「火は熱いよ」ってどれだけ専門家に教えられても、
実際に触ってみなきゃ〝熱い〟とわからない。
失敗も同じで、
経験して初めて「こうやって立て直せるんだ」って腑に落ちるんです。
僕自身、会社を辞めて一人でビジネスを始めた頃なんて、結果はまったく出ませんでした。
収入も安定しないし、生活は極限の節約。
毎日の食事といえば、もやしと木綿豆腐ばかり。
同世代から見れば、「経済的に失敗してる」と思われても仕方ない生活だったと思います。
でも、その経験の中でひとつ、得たことがありました。
それは、「まぁ、もやしと豆腐でも生きていけるっしょ」と知れた瞬間、
僕の中の〝生きてくうえでの最低ライン〟がぐっと下がったことです。
失敗を〝立て直す〟というと語弊があるかもしれませんが、
「失敗してもどうにかなる」という感覚がつかめたのは確かです。
もちろん、どんな失敗でも絶対に立ち直れるかどうかは断言できません。
僕自身まだまだ経験していないことだらけですから。
自分が経験していないことを、易々と「できる」とは言いたくありません。
でもひとつ確かなのは、
「失敗を経験しないと、立ち直り方も知れない」ということ。
だから「失敗が怖いから挑戦しない」って実は言葉足らずで、
厳密には「失敗を〝知らないから〟怖くて挑戦しない」だと思うんです。
結局1番怖いのは失敗そのものじゃない。
本当は「やりたいのにやらなかった」という〝自分への嘘〟
あれは一生残りますから。
失敗を「知る」ために一歩踏み出す
さて、相も変わらずのお家芸で話が逸れていますが、
ここで最初に掲げた記事のタイトルを思い出してみてください。
『 やりたいことをやらずに一生を終えるなんて、命がもったいない 』
僕がこの言葉を使った理由、
ここまで読んでくださった方には伝わったと思います。
戦時中の少女たちは、
生き方すら自分で決められなかった。
死に方すらも選ばず、
ある瞬間空から降ってきた爆弾に決められた。
でも、現代の僕たちは違います。
仕事も、住む場所も、生き方も、
全部自分で決められる。
それなのに、人の目や失敗を恐れて「やらない」を選んでしまうのは、
あまりにももったいない……!!
「変わらない自分」を肯定するために、
自分で作った言い訳に逃げるのは、あまりにもカッコ悪い!
「失敗しても、何度だって立ち直れる」
この言葉は失敗を経験しない限り、心から理解することはできません。
だからこそ、「失敗を知るために」
どんなに小さくてもいいから、まずは一歩を踏み出してみてほしいんです。
これが『cocoon』から受け取った僕の学びであり、
今この記事を通してあなたに伝えたいことです。
気になった方は、ぜひ最初の一歩として、
『cocoon~ある夏の少女たちより~』を観てみてください。
ちなみにこれ、べつに案件とかじゃなく、ただ好きで紹介しているだけなのでご安心くださいね(笑)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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