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ナポレオン・ボナパルトは何した人?どんな人?フランス革命の英雄から学ぶ生き方

偉人から学ぶ

余の辞書に、不可能という文字はない

誰もが知っている言葉。

それを言ったのが今回お話するフランスの英雄『ナポレオン・ボナパルト』です。

 

「ナポレオン」といえば、名前くらいは聞いたことがある人も多いでしょう。

フランス革命後の混乱期に頭角を現し、最終的には皇帝にまで上り詰めた歴史的な偉人です。

とはいえ、ただの戦争の天才というわけではありません。

特別有名な家系に生まれたわけでもないナポレオンは、多くの試行錯誤、圧倒的な行動力で、今日まで言い伝えられる功績を残したのです。

 

ナポレオンは、この令和時代でもなお人気が色あせない、偉人中の偉人。

僕が彼の生き様から学んだことを、本記事で解説していきますね。

(※毎度のことながら念のため……。僕は歴オタでも、世界史の先生でもありません。本記事はあくまで〝エンタメ〟。自分なりに調べて書きますが、詳しい功績や年号等を知りたい人(特に受験生)は、教科書を信じてくださいね。笑)

なお最後にも紹介しますが、今回、僕がナポレオンについて学んだ書籍は、以下の学習漫画です。

ナポレオンの生い立ち、功績、生き様が楽しくわかりやすく書かれており、読書が苦手な方でも楽しめる一冊だと思います。

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ナポレオンは何した人?生涯・功績を簡単に解説

まずはナポレオンの生涯について、ザックリ解説しますね。

1769年

8月15日、ナポレオンはフランス領コルシカ島で生まれました。

幼い頃から軍事に関心を持ち、9歳でフランス本土のブリエンヌ士官学校に入学。

ここではフランス語がうまく話せず苦労しましたが、数学と戦略に秀でていました。

ボク
ボク

フランス語がうまく話せないのに優秀ってすごいですよね~

1793年

24歳のときです。

ナポレオンはトゥーロン攻囲戦で成功を収め、一躍有名になります。

(トゥーロン攻囲戦:南フランス湾岸で勃発した戦。ナポレオンが初めて名を上げた戦い)

これによりフランス革命政府から信頼を得て、若くして将軍に昇進しました。

ボク
ボク

24歳って若すぎない!?

1799年

30歳のときに「ブリュメール18日のクーデター」を起こし、統領政府を樹立しました。

(ブリュメール18日のクーデター:当時のフランス総裁政府への反発)

このとき、すでに彼は「フランスを安定させるのは自分しかいない!」という強い自負を持っていたと言います。

 

1804年

35歳のときにフランス皇帝として即位し、「ナポレオン1世」となりました。

この頃のナポレオンは「フランスの栄光を世界に示す」との野心を抱き、ヨーロッパ各地で戦争を繰り広げ、最大の勢力を築いたのです。

台頭したのが24歳。そこから約10年で一国の皇帝にまで成り上がった。

この事実、この速度が、ナポレオンが偉人中の偉人であることを感じさせてくれます

 

1812年

しかし、43歳のときにロシア遠征に失敗し、勢力は衰え始めます。

(ロシア遠征:ナポレオンは当時ヨーロッパ諸国に「イギリスとの貿易禁止」を命じていたが、ロシアが貿易を止めなかったため、注意をしに。別名・モスクワ遠征)

さすがのナポレオンもロシアの極寒には耐えられませんでした。

過酷の自然環境と補給不足により大軍が壊滅し、この敗北はナポレオン自身も「最悪の決断だった」と後に語っています。

 

1814年

45歳で退位し、エルバ島へ流刑となりましたが、翌年復帰。

(エルバ島:南大西洋にある島。ナポレオンゆかりの地として有名)

 

1815年

エルバ島から脱出し、再びパリに戻ったナポレオンは、再び工程まで上り詰めました。

その間約100日と言われ、ナポレオンの100日天下として有名です。

しかし、その後ワーテルローの戦いで敗北し、最終的にセントヘレナ島へ流されました。

(ワーテルローの戦い:ナポレオンにとって最後の戦い)

 

1821年

51歳でこの地で亡くなりました。

晩年のナポレオンは「自分の功績は歴史が評価するだろう」と語っていたと言われています。

ボク
ボク

こうして見ると、ほんとに怒涛な生涯だったよね

ナポレオンが負けた戦い「ロシア遠征」

ここではあえてナポレオンの〝成功〟ではなく〝失敗〟を見ていこうと思います。

ナポレオンの最も大きな失敗の一つが、1812年のロシア遠征です。

彼はヨーロッパの大半を支配していましたが、ロシアは従わず、それに憤怒したナポレオンは60万人以上の大軍を率いてロシアへ侵攻しました。

 

しかし、ロシア軍は直接戦わず焦土作戦をとり、フランス軍が進む先々の食糧や物資を焼き払いました。

(焦土作戦:食料や住居などの消耗を目的とする戦術)

ナポレオン軍はモスクワを占領しましたが、ロシア皇帝アレクサンドル1世は降伏せず、補給が絶たれたフランス軍は撤退を余儀なくされました。

極寒の中での撤退戦は過酷を極め、20万以上の犠牲者を出したと言われています。

この敗北は、ナポレオン自身にとっても衝撃的なものであり、戦争はすべて計算できるわけではないと痛感する出来事だったとのことです。

ナポレオン・ボナパルトが成し遂げたこと

次に、ナポレオンの功績を簡単に振り返りましょう。

ロシア遠征では破れたものの、圧倒的に功績のほうが多いですからね。

フランス革命の混乱を収めた

フランス革命後、国内は混乱に包まれていました。

王政が崩壊し、新たな政治体制が模索される中、各地で反乱や対立が相次ぎ、経済も混乱。

そんな状況を収めたのがナポレオン・ボナパルトでした。

 

彼は軍事的な手腕を発揮し、反乱軍や外国の干渉軍を次々と打ち破ることでフランス国内の安定を取り戻しました。

そして、1799年のブリュメールのクーデターを成功させ、自ら第一統領の地位に就き、強力な指導力を発揮したのです。

ボク
ボク

ここで一気に求心力を得たよね

ナポレオン法典の制定(近代法の基盤を築く)

ナポレオン1番の功績とい言えば何が思い当たるでしょうか?

フランス革命? 数々の戦争での勝利?

人ぞれぞれあると思いますが、僕はナポレオン法典の制定だと思います。

 

ナポレオンの政治的な功績の中でも特に重要なのが、1804年に制定された「ナポレオン法典(フランス民法典)」です。

この法律は、法の下の平等や個人の権利を明確に定めた画期的なものであり、封建的な特権を廃止し、国民が公平な権利を持つことを保証しました。

ナポレオン法典はフランス国内だけでなく、ヨーロッパ各国の法制度にも影響を与え、現在の民法の基礎となっています。

法の支配を確立し、近代国家の礎を築いた非常に重要な功績のひとつです。

ボク
ボク

このときの法典が現代日本の基礎になっているってすごいよね~

ヨーロッパ各国との戦争に勝利し、大帝国を築いた

ナポレオンは、軍事面でも類まれなる才能を発揮しました。

フランス革命後、フランスはヨーロッパ各国からの攻撃を受ける立場にありましたが、ナポレオンの巧みな戦略によって次々と勝利を収めます。

1805年のアウステルリッツの戦いではオーストリア・ロシア連合軍を破り、ヨーロッパ最強の軍事指導者としての地位を確立しました。

 

その後もプロイセン、スペイン、イタリアなどを次々と制圧し、フランスの支配圏を拡大しました。

ナポレオンの影響力はヨーロッパ全土に及び、各国の政治や社会構造にも大きな変革をもたらしました。

その影響は、現在のヨーロッパの国際関係にも続いています。

ボク
ボク

ナポレオンは地形を活かしたり、人数の不利を逆手に取ったりと、「戦略」に優れた策士だったんだ。

ナポレオンはどんな人?僕が感じた「皇帝になる男の生き方」

チャンスを掴む源は「日々の積み重ね」

ナポレオンは若くして軍事で頭角を現し、チャンスを逃さずに成り上がりました。

もちろん、それはテキトーに選ばれたわけではなく、士官学校で相応の成績をおさめていたから。

それに、何度も自分の策を上官に提案したとも言います。

 

仮にそれらの積み重ねがなく、突然、「ナポレオン! 戦場行けるか?」と言われたら、自信がなくて行けなかったかのではないでしょうか。

日々の積み重ねが自信となり、行動に結びつく。

夢や挑戦を抱くなら、それにふさわしい積み重ねをするべきであり、むしろそれ以外に道はないのだと、僕は思います。

目的意識を強く持つ。それが目標達成の秘訣

ナポレオンは、常に明確な目的を持ち、それを実現するために行動し続けた人物でした。

フランス革命後の混乱を収め、法制度を整え、大帝国を築くという壮大な目標。

戦場でも政治の場でも、決してぶれることなく、信念を貫き通しました。

24歳で初めて戦場に出て、35歳には一国の皇帝にまで上り詰めたという事実を知れば、その目的意識の強さは容易に理解できるでしょう。

ボク
ボク

約10年で皇帝にまで登り詰めるって、並大抵の行動力じゃないよね。

目標を達成するためには、「何を成し遂げたいのか?」を明確にし、
試行錯誤を繰り返しながら行動することが大切である。
そして、それこそが「不可能を可能にする力」の正体なのではないか。

冒頭の伏線回収ができてドヤ顔をしながら文章を綴っておりますが、ナポレオンの生涯を知って、僕はこのように感じました。

すべてをコントロールすることはできない

ナポレオンは数々の戦争に勝利し、大帝国を築きましたが、最終的には敗北を喫しました。

彼ほどの戦略家であっても、すべてを思い通りにすることはできなかったのです。

 

ナポレオンだけじゃありません。

歴史を振り返ると、どんなに優れた人物でも、「環境や時代の流れを完全に支配することは不可能」であることが分かります。

ナポレオンもヨーロッパ諸国に「イギリスとの貿易禁止!」という無理な規制をかけたことが原因で敗北しました。

当時のヨーロッパを冷静に見れば、イギリスとの貿易を禁ずることで多大な損害が出ることくらいわかっていたはずなのに……。

 

僕ら現代人も、人生において、いろいろとコントロールしたくなるときがあると思います。

しかし、すべてをコントロールしようとすると、かえって苦しむことになるかもしれません。

大切なのは、自分が変えられることに集中し、変えられないことを受け入れる柔軟さを持つこと

僕がナポレオンの生涯を振り返って1番学びになったことは

「いかにナポレオンと言えど、すべてを支配することはできない。
だからやっぱり、〝自分が変えられること〟に意識を向けるべきなんだ

という現実と向き合う大切さです。

まとめ・僕がナポレオンを学んだ書籍について

ナポレオンの功績はもちろん、その「生き様」は、現代を生きる僕たちにもすごく参考になる部分があります。

スマホも、パソコンも、AIもない。

今より間違いなく不便な世界だったのにもかかわらず、今の僕たちが想像だにできない偉業を成し遂げた偉人がそこにいる。

ぜひあなたもご自身で、その熱を感じ取ってみてください。

そしてぜひ、何かしら行動に移してみてください。

僕も、ナポレオンのように熱量を持って行動し、チャンスをつかめる人間でありたいと思います。

 

僕が今回、ナポレオンについて学んだ書籍は、以下の学習漫画です。

ナポレオンの生い立ち、功績、生き様が楽しくわかりやすく書かれており、読書が苦手な方でも楽しめる一冊だと思います。

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本記事と同じく、歴史上の偉人から生き方を学ぶ【偉人から学ぶ】シリーズは、以下からたくさんご覧いただけます!

偉人から学ぶ
「偉人から学ぶ」の記事一覧です。

『人々に勇気を届ける作家になること』

これが今の僕にとって、最も大きな目標です。

下記4つの絵本「勇気の羅針盤シリーズ」は、その第一歩。
読者様が新しい挑戦をするときの「一歩を踏み出す勇気」の一助になればと思い、制作しました。

読んで後悔はさせない自信がありますので、ぜひご一読いただけるととても嬉しいです。

この記事を書いた人
片山翔太

●プロフィール
2000年生まれ25歳。
【出身】愛知県田原市
【在住】福岡県北九州市
【職業】作家
【得意ジャンル】物語系・エッセイ
【友だちになりたい漫画のキャラクター】ウソップ
【板チョコ】ホワイト派
【カレー】野菜ゴロゴロ派

詳しくは「プロフィールページ」からご覧いただけます。

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