僕の経歴
はじめまして!
片山翔太(かたやま しょうた)と申します。
2000年愛知県田原市生まれの25歳。
現在は、九州の最北端・福岡県北九州市に住んでいます。
職業は「小説家」です。
大学卒業後、上京し、某総合型スポーツクラブに就職。
スイミングインストラクター、パーソナルトレーナー業を務める。
アルバイト期間を含め2年間働かせていただいた後、「もう十分楽しませてもらった!」と思い、退職し独立。
「とある理由」を機に福岡県北九州市に引っ越し、今に至ります。
現在は「小説家」としての地位・名誉・実績を積み上げるため、日々創作活動に取り組んでいる毎日を送っています。
僕のアレコレ
趣味
妄想
「こんな設定の小説、面白そう!」
「こんな漫画あったら面白いなぁ!」
「こんなキャラクターがいたら良い絵本になりそう!」
常日頃、暇さえあれば頭の中で考えています。
99%は一時の妄想で終わりますが、その中の1%は実際に形になります。
漫画読む
「物心ついた時から、漫画を読まなかった日は1日たりともない」
そう断言できるほど漫画が大好きです。
特にバトル・アクション系、冒険系が好き!
ONE PIECEで友だちになりたいキャラクターは「ウソップ」です。
アニメ鑑賞
「テスト習慣になると、なぜかアニメをイッキ見する」
僕だけでしょうか?
やっぱりアニメって心のよりどころになるんですよね。
漫画もいいけど、「声」があるアニメはまた違った良さがある。
最近「進撃の巨人」を1話から全部見直したところ、気づいたら「心臓をささげるポーズ」が染みついていました。
映画鑑賞
「およそ2時間で完結する、最高のエンターテイメント」
映画ほどコスパ良く「感動」を届けてくれるコンテンツを知りません。
「君の名は」「天気の子」「聲の形」
これらの作品を観たときは、涙でテーブルに釣り堀ができてました。
アロマ
「0.2秒で感情コントロール」
かれこれ2年ほどになるでしょうか。
知人の勧めでアロマを初めて使ったとき、僕は虜になりました。
仕事前に「ペパーミント」
気分転換に「オレンジ」
おやすみ前に「ラベンダー」
今ではアロマのない生活が考えられません。
節約飯の探求
「いかに安く、いかに腹を膨らませられるか」
終わりのない探求。
一人暮らし7年となると、もはや染みついています。
収入に関係なく、とにかく安く食事を済ませたいんですよね。
僕がこれまで開発した「安さと満腹度」が究極の節約飯は、
「袋うどん(約25円)+木綿豆腐(約50円)+もやし(約25円)」の100円鍋です。
得意なこと
新しいアイデアを考えること
「むしろ頭がパンクする。考え出すと止まらない」
やっぱり「考える」ことは好きですね。
他の人の脳内を観ることができないので何とも言えませんが、得意だと思います。
勢いあまって、ベッドの上でいろいろ考え、眠れないこともしばしば…..。
好きなことに没頭すること
「マジで病気になるから、ワーク・ライフ・バランスを教えてほしい」
たとえば小説を書いているとき。
他の仕事とか、運動とか、食事とか、睡眠とか、入浴とか。もう全部そっちのけ。
「生活リズム」という概念が消えるくらい、好きなことに没頭できるのは「得意」だと言えるでしょうか。
一度気になったことをとことん調べること
「時間の無駄以外のなにもでもない。でも気になる!」
文章では「貴社」、口頭では「御社」
就活しているときに調べた方も多いと思います。
じゃあ「学校の先生」になる人は、相手方のことをなんていう?
なんか「社」ではない気がする….。
ネットでいろんな記事を読んで、なんなら先生になる弟にも聞いて。
この間約30分。シンプルに時間の無駄です
なぜなら気になって調べたはいいけど、結局忘れているから……。
でも、この性格はけっこう好き!
電柱になること
「高校野球3年間で最も身に着いた力。それは電柱化でした」
監督からの雷を食らい続けた3年間。
まぁすべてをまともに聞いてたら心が持ちませんよ。
言っていることの9割は右から左にグッバイ。
「我、電柱也」と念じ、ひたすら電柱になることを目指した3年間。
野球のスキル
部活で得た礼儀
諦めない心
仲間との協調力。
悲しいかな。
社会に出て1番役に立ったのは「電柱化」でした。
苦手なこと
時間を守ること
「僕に時間を守れというのは、鶏に空を飛べと言っているようなもの」
鶏に空を飛ばせる人、いますか?
いないですよね。いや、いないであってほしい。
僕の名誉のために言っておきますが、「仕事関係」の時間は守ります。
守れないのは「プライベート」
大学4年の就活時、2回に1回は時間に間に合わず、夜行バスを乗り過ごしていました。
あなたが乗っているバスの空席は、もしかしたら僕が予約した席かもしれません。
一定時間、人の話を一方的に聞くこと
「10分すぎるとBGM。心地よい子守唄をありがとう」
セミナー、講演、説教、校長先生の話。
時間に幅はあれ、人の話を長く聞くことが苦手です。
でもごく稀に、食い入るように聞いてしまうときもあります。
それくらい魅力的な話し方をしている人はステキ。(何様だよって感じですね)
マニュアルどおりにこなすこと
「人に言われたとおりにやるのが苦手。義務教育が身につかなかった男の成れの果て」
新卒入社時に研修を受けていたとき。
同期は2ヶ月で終わる研修を、僕は6カ月かかっていました。
シンプルに給料泥棒です。
親身に教えてくれたお母さん的な存在の上司には本当に申し訳ない。
でもね。
義務教育を9年受けて身につかなったことは、もう治らないよ。
テキトーに済ませること
「0.1点を上げる努力の無限ループ。誰か止めてくれ」
たとえば小説を見直しているとき。
接続詞の「または」を「あるいは」に変えるレベルの作業を永遠と繰り返す。
たぶん直しても0.1点くらいしかクオリティ上がらないけど、やってしまう。
まぁこれは「良いところ」と割りきっています。
逆にどうでもいいことは、めちゃくちゃラフでスピード重視です。
僕の軸
俺はいつか、必ず死ぬ
僕の座右の銘です。
「なに当たり前のこと言ってんだ」と思うかもしれませんが、しばしお付き合いいただけると嬉しいです。
父、老いる
僕がこの言葉を座右の銘に決めたのは、2024年4月。
父が腰をひどく痛めてしまい、手術をするとのことで実家に帰ったときです。
僕の実家は「菊農家」
大好きな祖父が早くに亡くなったこともあり、男手は父一人。
機械による自動化は進んできたものの、やはり肉体労働。
力仕事が労働時間の大半を占めるお仕事です。
父は20歳の頃から、30年間。
一切ブレることなく農家一筋でやってきたので、さすがに無理がたたったのでしょう。
満を持して、ドクターからレッドカード。
「歩くのも極力控えてください」とお灸をすえられるほどの状態でした。
そんなこんなで選手交代。
代打の切り札・片山翔太。
約1カ月。へそくりしていた有休をフルに使い、実家に帰還してきました。
その年のお正月に一度帰省していたものの、その時は3日ほど家でダラダラしてただけ。
改めて思い返すと、上京してから2年、これほどまとまった期間、地元に入り浸るのははじめてのことでした。
いつも僕を誇りに思ってくれてるじいちゃん。
学生時代は毎日図書館であいさつを交わした、司書のお姉さん。
インターフォン代わりに「おーい!」と140デシベル以上の大声で叫ぶ、近所のおばちゃん。
(ちなみに140デシベルは、雷が至近距離で落ちたときくらいらしいです)
懐かしいですね。
会う人会う人、「久しぶり~!」が絶えない3週間でした。
………でもね。
僕は久しぶりに会うおじいちゃん・おばあちゃんたちを見て、こうも思ったのです。
(なんか、すっげぇ細くなったな…….)
いつの間にか腰が曲がった、押し車がトレードマークのおばあちゃん。
骨が見えるほど痩せた、毎年おはぎを作ってくれる大ばあちゃん。
いつの間にか入院していた、お隣のおじいちゃん。
とても失礼なのは重々承知の上ですが、正直、「老いたな……」と思いました。
久しぶりの地元だからこそ味わえる変な感覚。
いろんな意味で「新鮮」が多い3週間になりました。
父の手術のことなんて、ほとんど(いや、まったく)気にしてないくらい……。
家業を継いだ長男(父)と、継がなかった長男(僕)
地元に帰って2週間後。
もはや入院しているのも忘れていた父の手術も無事成功。
腰の手術なので背中に着ぐるみのチャックみたいな跡が残りましたが、ひとまずは安心です。
父の退院後10日ほどは、力仕事は僕がして、一緒に農家を務めました。
父は農家の長男として、半ば強制的に農家の跡取りに。
聞くところによると、弟農家の大学費用にも充てていたとか……。
なんというか、まぁ、その……偉大ですね。
一方、同じく長男として生まれた僕。
残念ながら、農家適正がFランク。
苗を植える作業、花を刈る作業、花を束ねる作業。
良くも悪くもマニュアル化された仕事。
中学時代にはじめて手伝ったとき。
(絶対ムリだ……)と確信しました。
さながらドラクエの戦士が、メラゾーマの練習をしているようなものです。
「お前、MPゼロやん」
初期ステータスの時点で詰んでるんですよ。
僕は「マニュアルどおりにやる」ことをしていると、脳内に霧がかかりボーっとしてしまうのです。
なので、車の運転もなるべくやらないようにしています。
こればっかりはもうどうしようもありません。
24年間治らないものは、もう治らない。
僕は農家をつかずに、東京の某スポーツクラブに就職しました。
そのため、良くも悪くも地元に執着がありません。
対照的に、父は地元の仲間をとても大切にします
やはり、30年も地元で農家をしているとその仲間は家族みたいなものなのでしょうか。
飲みに行ったり、バーベキューをしたり、家でチーズフォンデュをしたり。
電話越しに話す姿は、それはそれは楽しそうです。
地元に帰って2週間。
あっという間にもほどがありすぎるほど一瞬だった此度の帰省が、残り2日と迫りました——。
初めてみる両親の顔
「明日、明後日は名古屋辺りに出かけるか」
父の提案です。
この4月から名古屋で一人暮らしをはじめた大学1年生の弟の顔を見るついでに、名古屋に出かけようと。
ちなみに、家から名古屋までは車で2時間半。渋滞なら3時間かかります。
(10日前に手術してたやつが言う言葉じゃねぇな)と思いながらも、農家の作業が飽きていたので行くことにしました。
「じゃああのラーメン屋行こうか!」
「えっ、あのパン屋も行きたい!」
「夜は温泉行こうよ!
僕、父、母で楽しく計画していた、そのとき———
父のスマホに一通の着信が入りました。
つい10日前。ちょうど退院の帰り道に、コンビニで出会った父の高校からの親友からです。
…………いや、声を聞くと、それは親友の「奥さん」でした。
「———もしもし?」
「……旦那は死にました」
「………。は?」
「ソファでくつろいでいるかと思ったら、死んでいました」
——父は、愕然とその場に崩れ落ちました。
現状を理解できない—いや、受け入れたくない—様子は一目で伝わりました。
その場にいた母も信じられないという様子。
上下左右、オドオドと不規則に目を泳がせています。
当然です。
つい一昨日まで仲よく話していた同級生。
高校時代からの仲だった親友が、何の前触れもなくこの世を去ったのですから。
24年間。大学で一人暮らしをするまでだと18年間。
一つ屋根の下、最も長い時間を過ごしてきた家族。
なんでも知っていると思っていましたが、
その日見た彼らの表情は、僕の記憶のどこを探しても見当たりませんでした。
俺はいつか、必ず死ぬ
深夜一時。
寝床につく僕。
両親は明日からのお通夜・葬式に備え、早めに眠りにつきました。
(なんだ、あの顔……)
訃報を受け取ったときの両親の表情。
はじめてみるあの顔が、脳裏に焼きつく。
両親は50歳。
亡くなった友人も50歳。
旅立つにはあまりにも早い年齢です。
しかし同時に、〝死〟を意識し始める年齢でもあるのでしょう。
昨今では「人生100年時代」という言葉が流れていますが、それはまだ少数派。
実際は80代後半~90代前半で寿命が尽きるのがほとんど。
冷静に考えると、両親はとっくに折り返し地点を過ぎています。
(…………………………。)
(…………さみしいなぁ……)
今まで「どっかのだれか」のことだと思っていた〝死〟に、えも言えない悲しみを覚えました。
そして同時に、僕はあることに気づきました。
(そっか、俺も死ぬじゃん)
当たり前すぎる発見。
この世に生まれてから100%決定している事実。
この世で唯一、全生物に等しく存在する運命です。
でももしかしたら…………少ないのかもしれない。
「いつか必ず死ぬ」
この真実を自覚している人は、あまりいないのかもしれない。
20代は30代の自分を
30代は40代の自分を。
40代は自分に孫ができるなんて思いもしない。
有名人や親戚が亡くなったときも、
「自分だけは例外」と心のどこかで思っているのかもしれない。
「今ある日常が一生続く」と思っているのかもしれない。
でも、それは嘘だ。
人間は老いるし、死ぬ。
これだけは絶対に覆せない。
すべての人間が平等に一度だけ経験する「現実」
「社会はそんなに甘くない」
「大人になったら好きなことばかりやっていられない」
「失敗しないように安定の道を進むことが堅実だ」
そんなモブキャラ未満が吐く戯言を、「現実」とは言いません。
自分に嘘をつき、安心を覚えた大人の単なる「負け惜しみ」です。
この世に存在する唯一の現実。
神を除いて、何人たりとも変えることができない現実。
それは「いつか必ず死ぬ」ことです。
明日か、1年後か、10年後か、30年後か、はたまた1秒後か。
癌か、心臓発作か、交通事故か、寿命か、はたまた殺されるか。
死ぬときもわからなければ、死因もわからない。
でも、俺はいつか、必ず死ぬ。
バカで愚かで、驚くほどワガママな生き方こそ面白い!
僕の人生の第1章はここから始まったのかもしれません。
今まではチュートリアル。
全滅(死)への意識なんてカケラもなく生きてきました。
この記事を書くにあたり、神に誓って、父の親友の死を軽んじる気持ちは1ミリもありません。
ただ、僕は2024年4月。
「父の手術と農家の手伝い」という名目で帰省した、この3週間。
地元に帰ってきた真の意味は「父の親友の死」
これを肌で感じ取るためだったのだと思います。
なにか大きな流れがそうさせたんだと思います。
さて、それからは目に見えない〝ナニカ〟に突き動かされるように、突拍子もない行動の連続でした。
まずは翌朝。
誰もいない丘の上の神社にて、上司へ一報。
「有給後、少し相談したいことがあります」
と、漫画だったら「会社やめます」と横にふりがなを振られるようなテンプレート文を送信。
その後、すぐに大家さんに電話。
「6月末までには引っ越します」と、キッパリ言いました。
わりと仲のいい大家さんでしてね。
「なんで?」と聞かれました。
そして僕は「わかりません」と答えました。
会話が成り立ってないですね。
まぁでも、本当のことです。
事実、次のいきさき、次の仕事。なにも決まっていません。
「なにをしたいか?」もまったく考えていません。
でも、「今すぐなにか行動を行さないと、取り返しがつかないことになる!」と、直感に支配された僕の脳が勝手にそうさせたのです。
人間、いつか死ぬ。
だったら、もう好きなように生きればいい。
どうせ死ぬんだったら、「今世、生きた甲斐があったわ!」と笑って終わりを迎えられるように。
自分のやりたいようにやればいい。
時には努力が報われず、悔し涙を流す夜もある。
みんなに置いてきぼりにされて、焦りに焼かれる日もある。
輝いている「あの人」に、憎たらしいほどの嫉妬を抱えるときもあるでしょう。
でも、古今東西、悔し涙を流さない主人公はいない。
焦りや自分の無力さに、失望しない主人公はいない。
嫉妬を力に変えて、「俺もできたぞ!」と結果を出さない主人公はいない。
『主人公は、ピンチをチャンスに変えて大きなことを成し遂げる』
相場は決まっています。
上手くいくこと1割、上手くいかないこと9割。
まぁだいたいこんなもん。
こんなもんだから、腹減って食う飯がウマいってもんですよ。
最後に、いつしか僕の心に住み着いた言葉を送ります。
『バカで愚かで、驚くほどワガママな生き方こそおもしろい!』
今の僕から、未来の君へ
退職日、退居日が2週間後に迫った頃。
「さすがに次の行き先を決めないとヤベェぞ……!!!」と焦った僕は、
特にこれといった理由もなく「福岡県北九州市」に引っ越すことになりました。
「実は愛する彼女がいる」
「福岡の大企業にスカウトされた」
「人生初の九州で一花咲かせてやる!」
そんなカッコいい理由があればよかったのですが、もうこれはただの気まぐれとしか言いようがありません。
だって本当に気まぐれなのだから。
せめて無理矢理に理由をこじつけるとすれば、「博多ラーメンを食べてる夢を見た」くらいでしょうか。
福岡駅が見えるラーメン屋で、猛烈に替え玉をしている夢を見たんですよね。
でも「だったら北九州じゃなくて博多に住めよ」という話になるので、違うか(笑)
まぁなにはともあれ、人生初九州、初福岡、初北九州。
北は海に、南は山に囲まれた自然豊かな土地。
誰も僕のことを知らない、まったく新たな環境で人生の第1章をスタートさせた気分です。
長かったチュートリアルはもう終わり。
………あ、そうそう。
夢、見つけました。
門司港と下関(山口県)の間にある「関門橋」
この辺りをブラブラ散歩したり、かっぱえびせん食べながらボケーッと夜空見てたんです。
そしたら、夢、見つけちゃいました。
人々に勇気を届ける作家になる
これです。
理由は「これまでの人生で苦しんだとき、いつも助けになったのが本だったから」です。
毎晩悪夢にうなされるほど、絶望的に悔しくて恥ずかしい大失敗をした高校野球。
そんな高校の大失敗を払しょくしたく、夜な夜なアパートの前で素振りし続けた大学時代。
そして社会人になり、「努力」とは無縁の日々を送り、流れるように過ぎていく日々に身を焦がすような焦りを感じたつい最近。
いつも、現状を打破するヒントをくれたのは「本」でした。
だから、僕もそんな本を書きたい。
人を〝変える〟なんてとんでもないけど、
変わるための〝気づき〟を届けることはできる(気がする)。
なんの根拠もないし、なんの目当てもないし、
どうしたら本屋に僕の本が並ぶのか、なにひとつとしてわからない。
(大きな)お金になるかもわからないし、ほかにやるべきこともある気がする。
でも、どんな結果になってもいいんだ。
だって僕がやりたいんだから。
死ぬときに「あぁ、今世、生きた甲斐があったわ!」と笑えるじいさんを目指して。
今日も今日とて、某ドーナツ屋の二階でパソコンをカタカタしようと思います。
長い長い自分に酔いしれたプロフィールを、最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
2024年11月17日 片山翔太 記