
\この記事でわかること/
- 「挑戦」に対する向き合い方
- 「挑戦」ではなく「試す」がいいワケ
- 未知のことに一歩踏み出す気づき
「挑戦」って言葉、少しハードル高くないですか?
便宜上使うことはありますが、僕は正直、難易度高めに感じてしまいます。
なんかこう「謎の惑星に乗り込むぜおりやぁ!」みたいな、一大イベントっぽく感じちゃうんですよね。
第一、ほとんどの「挑戦」ってべつに誰かと戦うわけではなく、そのほとんどが自分、あるいは不安との戦い。
なかなか突破口が見えずとも、自分を信じられるのか。
今やっていることが、本当に結果に結びつくのかという不安。
結局、戦っている相手は「自分自身」なんですよね。
つまり、何が言いたいのかというと、元来「戦に挑む」と言う意味で使われていた” 挑戦 “という言葉だとなんかしっくりこない、と言いたいわけです。(困難に挑む、という意味もあります)
「挑戦」ではなく「試す」
だから僕は好きなのは「試す」
ただ「試す」、ただ「確かめる」
たったそれだけ。
” 試す “という言葉は、「本当かどうか確かめる」という意味があります。
- 試験
- 試合
- 試食
- 試作
- 試算
どれも、「確認として行いますよ」というニュアンスですよね。
高校野球の夏の大会を「挑戦」と言うのはわかりますが、
日頃の練習試合を「挑戦」と言うのはなんかしっくりこない。
なんとなく、伝わりますでしょうか。
試すだけなら勝敗はないし(形式上、勝敗がつくものはある)、上手くいかなくても知見が貯まってく。
試して試して試して、また試して。
試しまくった結果、気がつくと、それが「結果」になっている。
ふと後ろを振り返ると、それが「挑戦」になっている。
大学受験を想像してみてください。
勉強や模試という「試し」を繰り返して、最後に本番のテスト。
当の本人は「ただ毎日試しまくった」くらいにしか思わないけど、はたから見るとそれは立派な” 挑戦 “になっている。
誰もが知る芸術家、パブロ・ピカソ氏は生涯に渡り、約15万点の作品を出したと言われています。
発明王トーマス・エジソン氏の「うまくいかない方法を10000通り見つけただけだ」という名言は有名ですよね。
「挑戦」という言葉に必要以上のハードルを覚え、一歩目がなかなか踏み出せない方。
「ちょっくら試してみますか!」くらいの気持ちのほうが、意外とグングン進めるかもしれませんね。
僕も日々試し続けようと思います。
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