「諦める」
この言葉を聞いて、あなたはどんな印象を受けますか?
「日本が日本が~」というのはあまり好きではないですが、それでもやはり日本人に顕著にみられる思考の癖があります。
「1つのことを続けることが美徳であり、複数のことを同時進行したり、ましてや諦めることはカッコ悪いことである」
どうでしょう?
思い当たる節があるのではないでしょうか?
「石の上にも三年! 一度務めた会社は続けるべきだ」
「1つの分野を極めるべきだ」
「目標を達成しないで諦めるのは、なんとカッコ悪いことか!」
まぁまぁ。人生のどこかで聞いたことのあるフレーズですよね。
僕もこの言葉、思い込みに苦しんだことがありまして……。
ここで少し、その話をさせてください。
実は僕、「格闘技」が好きなんです。
愛知県の実家はど田舎で近くに格闘技ジムがなかったものですから、最初は観る専からスタート。
上京してすぐキックボクシングのジムに通ったり、ブラジリアン柔術のジムに通ったり、ちょっとだけ総合格闘技の練習なんかもしたりして。
けっこう……いや、かなりハマってたんですよね。
そんでもってプロの試合を見に行った日には、その白熱さに魅了されちゃって。
勢いあまって「プロの格闘家になりたい!」とか思っちゃって。
さらに格闘技熱が高まって、会社の同僚やお客様にも「すぐにプロになります!」とか大口たたいてたわけですよ。
イタイですね~。
今どき小学生でもこんな大口たたきません。
そんなこんなで仕事をしながら、格闘技。
初めて生で観た総合格闘技の試合で「柔術(寝技)」を使ってた選手が印象に残っていたので、1日でも早く「ブラジリアン柔術」の試合に出たいと思っていました。
練習を積み、はじめて「格闘技」なるものの試合をした日は、興奮して夜も眠れなかったのを覚えています。
その後は負けたり、勝ったり、負けたり、勝ったりを繰り返して。
ときにはメダルをもらっちゃったり。
徐々に「格闘技をやってる自分」に慣れていきました。
そんな日々が続くこと、9カ月。
………飽きました。すごく、飽きました。
自分でもビックリするくらい、もぬけの殻のごとく格闘技熱が冷めました。
最初は楽しかった。熱中してた。
10年続けていた野球にはない、コンタクトスポーツならでは白熱さに心躍りました。
入会前は「怖そう…..」と思っていたジムの先生ともすごく仲良くなり。
一緒に練習をする仲間も良い人ばかり。
環境にも不満はありません。
…….でも、飽きてしまったんですよね。
急激に、飽きてしまったんですよね。
この「飽き」に関して、特にこれといった理由はありません。
というか、何を言っても言い訳になってしまいます。
ただ、僕の中で「おそらくこれだろう」という理由があって、それが「試合で勝ったときの喜びが、思いのほか小さかった」ということです。
おそらく10年以上、弱小校で野球をやってきた影響でしょう。
今まで所属してきたチームはどこも「負けの悔しさは倍増、勝利のうれしさは超倍増」という雰囲気でした。
野球漫画に出てくる「弱小校」を絵にかいたような感じです。
それに比べて格闘技は、基本一人。
ジムの先生や仲間はいますが、試合は一人の勝負です。
もちろん、負けたら悔しいです。
でも、すべてが自分事なのでわりと受け入れられる。
そして勝利しても、もちろんうれしい。
だけど、めちゃくちゃ喜ぶというと、そんなことなかった。
言い訳以外のなにものでもないですが、おそらく大きい理由はこの気持ちだったと思っています。
さて、そんなこんなでわずか9カ月で格闘技熱が冷めてしまった翔太君。
いつもならここでサクッとやめられるのですが、今回はそうはいきませんでした。
なぜなら、「バイト先で会うスタッフやお客様みんなに『プロの格闘家になる!』と豪語していたから」です。
……はい、詰んだ。やってしまいましたね。
格闘技を始めるときは「これで逃げ道がなくなった!」とカッコつけていましたが、まさか自分が割を食うことになるとは…..。
シンプルにアホすぎる。
会社のお客様の中には試合の応援に来てくれた方とかもいて、本当に応援していただいてたんですよね。
もちろん、職場の方も気にかけてくださったりして。
周りがすごく良い人たちばかりで、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
でも、だからこそ言えなかった。
もう格闘技やるのやめたい……「諦めたい」とは言えなかった。
それどころかむしろ、「がんばっている姿を見せなければ….!」と必死になっていったのです。
格闘技のジムも半ば惰性的に続けるも、サボることが増えました。
でも、職場ではがんばっているふり。
一体、誰のためにがんばっているのかがわからない。
「しょうた君、次の試合はいつなの?」
この言葉が何よりも怖かった。
どう返せばいいかわからなかった。
格闘技は試合の度に「減量」が必要になります。
これは総合格闘技であれ、ボクシングであれ、ブラジリアン柔術であれ同じこと。
練習も試合を控えたとなれば、本気度が増します。
生半可な練習態度で臨んだところで、ケガをするのは目に見えていますからね。
これはあくまで僕の感覚ですが、「試合」というイベントが、他のスポーツとは比にならないほど大きなものだったのです。
だからこそ嫌だった。
「まっすぐな目」で次の試合を聞かれるのが、心底苦痛だった。
もちろん、悪いのはすべて自分。
「自分に嘘をつき続けている僕」です。
自分に嘘をつき「諦める」ことができない、臆病な僕が引き起こしていることなのです。
このときの僕の心境を一言で表すと、これ。
『本心と建前の乖離』
あなたもご経験があれば共感いただけるでしょう。
これはものすごくストレスであり、とても危険な状態です。
自分が自分でないような、そんな気持ち悪い感覚を覚えます。
そんなぐちゃぐちゃな気持ちを引っさげながら過ごすこと、さらに6カ月。
何か吹っ切れたのか。
それとも精神の限界に達した本能がそうさせたのか。
格闘技どころか会社にも東京にも未練がなくなり、福岡へ引っ越すことに決めました。
(この心変わりに関しては、僕の「プロフィール」で赤裸々に綴っています)
行き当たりばったりを極めた男、片山翔太。
本能と直感と気まぐれに任せて、人生初福岡。場所は北九州です。
駅の北には海が広がり、南にはてっぺんに雲がかかるほどの大きな山。
東京ではほとんど目にしなかった心癒される自然が、前と後ろに広がります。
そしてこれまた東京ではありえない、人通りの少ない駅前のカフェ。
二階のカウンター席でホットコーヒーを飲みながら、ふとこんなことを思いました。
「今まで、俺は何をそんなに悩んでいたんだ…..?」と。
格闘技に飽きたのなら、やめればよかったのに。
応援してくれた人たちに、すなおに打ち明ければよかったのに。
自分の心に正直になって、諦めればよかったのに……。
「“諦める”って勇気がいるし、ツライ決断なんだなぁ……」
どこかで聞いたことがあるような、ないような。
抽象的ながらも確信をついた言葉が、此度の教訓として残りました。
***
さて、今の話を聞いて、あなたはこの言葉に何を感じますか?
「諦める」
弱音を吐いて逃げる、弱者の選択だと思いますか?
あるいは、いい加減な怠け者が呟く、単なる負け惜しみにすぎないと思いますか?
僕はそうは思いません。
「諦める」というのは、実はそんなに簡単なことじゃない。
むしろ、「続ける」よりも勇気がいることだったりする。
でも、僕の経験からこれだけは言えます。
諦め『れ』ば、道は拓ける
「なけ」ではなく「れ」
諦めれば、新しい道は拓けます。
…..いや、諦めるからこそ! 新しい道が開けるのです!!
人間、器の大きさは決まっています。
自分の器に注げる水の量も決まっています。
泥水で器がいっぱいになっていたら、本当に飲みたいトロピカルジュースを注ぐことはできません。
だから、まずは捨てましょう。
やめましょう。諦めましょう。
あなたが今持っている「こうしなければ!」という泥水を一度捨ててしまえば、気持ちも軽くなります。
本当に飲みたいトロピカルジュースを注ぐ、「余白」が生まれます。
本書『旅人アマク』は、こんないきさつから作られた物語。
「本当はやりたくないことを続けて、毎日心を擦り減っている……」
「いつの間にか、周囲の期待に応える人生を歩んでいた……」
「もっと自分の心に正直に……自由に生きたい………!!」
「本音と建前の乖離」で悩んでいる方にとって、本書が心変わりのキッカケになれば幸いです。
==========
書籍はこちらからご覧いただけます。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
電子書籍版:498円(税込み)
ペーパーバック版:1298円(税込み)
読み放題サービス「Kindle Unlimited」に加入している方は「無料」でお読みいただけます。
絵本一覧は、こちらの記事でご紹介しています。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓

コメント